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奇才・三島の頭の中を見る ~三島由紀夫『小説読本』~

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三島由紀夫の思う小説とは

ハローこんばんは、マイマイです。
療養中、散歩がてらふらりと立ち寄った近所の本屋で偶然見つけた三島由紀夫の『小説読本』。
帯には「作家を志す人々のために」とあり、別に私は物書きを目指している訳ではないのですが、
三島由紀夫のエッセイ、随筆は目から鱗の言葉が詰まっていることが多いのです。

 

三島の芸術観

 

『小説読本』はただ三島由紀夫が小説家になる為の作法や技術を教えてくれる作品ではありません。
先ず小説家というものはどんな人物であるかに始まり、小説はどんなものでなければならないか、芸術とは何か、文章とは何か、等々、
三島の思う芸術観が詰まっています。
そしてそこから、奇才・三島の小説に対する信念と鋭い目線を窺い知ることができます。

小説家とはどんな人物かということを三島は以下のように表現しています。

名誉慾や野心は人並に持ち、しかも「読まれなければならない」という本質的な要求のために、あらゆる卑しい工夫を積む代りに、一字一句の枝葉末節にプライドを賭け、おそろしい自己満足と不安との間を往復し、きわめて嫉妬深く、生きる前にまず検証し、適度の狂気を内包し、しかし一方では呆れるほどお人好しで、欺されやすく、苦い哲学と甘い人生観をごちゃまぜに抱懐し、……要するに、一種独特の臭気を持った、世にも附合いにくい人種なのである。
(「小説とは何か」より)

自身も小説家であるのに、「世にも附合いにくい人種」と言ってしまっております笑
この文章のように、三島のエッセイは文体もリズムが良く読みやすい部分も多いので思っている以上にすらすらと読めます。

また、芸術というものについては、

法律と芸術と犯罪と三者の関係について、私はかつて、人間性という地獄の劫火の上の、餅焼きの網の比喩を用いたことがあるが、法律はこの網であり、犯罪は網をとび出して落ちて黒焦げになった餅であり、芸術は適度に狐いろひ焼けた喰べごろの餅である、と説いたことがあった。いずれにしても、地獄の劫火の焦げ跡なしに、芸術は成立しない。

この例えは非常に上手だなあと思わずうなってしまいました。
犯罪の香りが程よく漂う作品こそ芸術として価値が高いと言う感覚を三島は持っていたのですね。
それを小説に置き換えて更に分かり易く書いたものが、

小説は、世間ふつうの総花的ヒューマニズムの見地を排して、犯罪の被害者への同情は(当然のことであるから)世間に預けて、むしろ弁護の余地のない犯罪と犯罪者に、弁護の情熱を燃やすところにしか、成立しない筈のものであった。
法律や世間の道徳がどうしても容認せず、又もし弁護しようにも所与の社会に弁護の倫理的根拠の見出だせぬような場合に、多数をたのまず、輿論をたのまず、小説家が一人で出て行って、それらの処理によって必ず取り落されることになる人間性の重要な側面を救出するために、別種の現実世界に仮構をしつらえて、そこで小説を成立させようとするものであった。

法律や世間の道徳がどうしても容認しない犯罪に対して、別種の現実世界の中で小説としてその行為を仮想的に弁護するというものが、
小説の役割としています。
これを読むと東野圭吾や湊かなえを代表とするミステリー作品が人気なのも頷けますね。
私自身はミステリーを読まないので、何故これ程ミステリー作品が人気なのかが分からなかったのですが、
三島のこの解釈を読んで非常に納得できました。

三島は、自分の論を分かり易く、相手が納得がいくような言葉で説き伏せるのが非常に上手なので、読んでいて「そうなんだ!」とすっかり信じ切ってしまい、気付けばその文章の虜になってしまいます笑

 

小説家の資質

 

そのセンセーショナルな最期からも分かるように非常にストイックな性格であった三島。
様々な作品からもその妥協を許さない姿勢が見え隠れするのですが、この『小説読本』の中にも、芸術に向き合う姿勢、また現状の小説家について厳しい視線を向けています。

言葉のそれぞれの比重、音のひびき、象形文字の視覚的効果、スピードの緩急……こういう感覚を生まれつき持った人が、訓練に訓練を重ねて、ようやく自分の文体を持ち、はじめて小説を書くべきなのである。
インスピレーションや人生経験からいきなり小説を書こうという人が跡を絶たないのは、前にも言うように、言葉というものを誰でも自由に扱えるという錯覚、言葉に対する尊敬の欠如に由来するものであろう。
こういう錯覚を押し進めたことが、日本の自然主義文学の最大の罪過であったと言っていい。

小説ではないですが、軽率にブログを書いて雑文を晒している身としては耳に痛いお言葉……笑
しかし、文章を書くということ、一つの芸術として小説を捉えた時に、職人のように拘りを持たなければいけないという考えも分かる気がします。

兵士にとって、訓練が実戦であり、実戦が同時に訓練であるように、実戦の経験なしに訓練だけで、よい兵士が作られるわけはなく、小説を書かないで素描だけで小説家になれるわけもない。
一つの新しい小説の制作は、一つの新しい訓練の場である。忍耐と意志が必要だ。

これは小説以外の様々なことに当てはまると思います。
何をするにも「忍耐」と「意志」、これが必要ですよね。

『小説読本』を読むと小説家になりたい人は勿論、小説を読むのが好きな人も、新しい読み方が見えてくるかもしれません。
また、ストイックに小説に取り組み信念を持っている三島の姿が垣間え、自分の普段の生活や仕事への向き合い方などにも、
考えることができそうです。

三島由紀夫作品は多数出ておりますが、最初はこういったエッセイでその魅力を知るのがお勧めです!笑


小説読本 (中公文庫) [ 三島由紀夫 ]


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