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可もなく不可もなく生きる

白洲次郎 戦後日本に足りないものを思案した人物。 ~白洲次郎『プリンシプルのない日本』~

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今週3冊目読了でございます、ハイペース。

ハローこんばんは、マイマイです。
最近昭和史について読むことが多く、まだまだ百年も経たない最近の話でも全く知らないことだらけで驚きの連続です。
戦後の日本について読んでいると、度々登場するのが、白洲次郎。

ナイスミドルですね。
東京都の町田には旧白洲邸・武相荘(https://buaiso.com/)があり、見学ができるようです。
「武蔵国と相模国にまたがる場所にあったことと無愛想をかけた」このネーミングセンスも、ユーモアがあって惹かれますね。

丁度東京へ行く用事があるので、寄ってみようかなと思っております笑

今回はその白洲次郎が文藝春秋に寄稿した評論をまとめた『プリンシプルのない日本』を紹介します。


プリンシプルのない日本 (新潮文庫) [ 白洲次郎 ]

 

そもそも白洲次郎とは?

 

白洲 次郎(しらす じろう、1902年2月17日 - 1985年11月28日)は、日本の実業家。兵庫県芦屋市出身。
連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、連合国軍最高司令官総司令部と渡り合う。
終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。
吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど、多くの日本企業の役員を歴任した。
(wikipediaより抜粋)

有名なエピソードとして、昭和天皇からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に「その辺にでも置いてくれ」とプレゼントがぞんざいに扱われたために激怒して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせた、と言うエピソードがあります。
こちらについては、現在は事実では無かったと言う説もあるようですが、
そう言ってもおかしくないと思われるほど、筋を通すことに信念を持った人であったと分かります。

また、白洲次郎の凄い点はその先見の明にあります。
第二次大戦前、アメリカとの戦争を予期して、先ほどの武相荘に疎開をしています。

「必ず日本が敗北し敗北経験のない日本人は飽くまで抗戦して、東京は焼野原になるだろうともいった。そこで彼は地の理を研究して現在の鶴川村に戦前の疎開を敢行したのである。敗け込むと食糧難に陥ることも彼の予見で、百姓になって人知れず食糧増産に心がけていた。」
(今 日出海「野人・白洲次郎」より)

『プリンシプルのない日本』の中でもその鋭い視線で日本の問題点について厳しく、しかしユーモアを交えながら分かりやすく言及しています。

 

戦後日本を本気で考えた人物

 

度々、「戦争を起こした責任を自分たちの世代で少しでも取って、後の世代に良い時代を残したい。それが戦争を起こした者のあるべき姿」であるということを強調している白洲次郎。
日本が高度経済成長を遂げるにつれ徐々に薄れる「戦後」感について、このように述べます。

私は「戦後」というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない。前の戦争が厳然たる事実であるかぎり、歴史の一頁は永久に残ると考える。戦後は永久に続くという考え方だ。
(「プリンシプルのない日本」より)

1956年の経済白書に書かれた「もはや戦後ではない」のフレーズは流行語にもなり、教科書にも載っているので知っている人も多いでしょうが、
経済復興して戦後と言うのは終わる。そんな簡単なものではないと白洲次郎は言います。

我々が現在声たからかに唱えている新憲法もデモクラシーも、単なる、かりものの域を脱しているとは思わない。我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。新憲法なりデモクラシーがほんとに心の底から自分のものになった時において、はじめて「戦後」は終わったと自己満足してもよかろう。
(「プリンシプルのない日本」より)
現在の日本の復興ぶりなどということは、言わばクリスマス・ツリーみたいなもので、飾り付けて豆電気がついて色々のものがぶらさげてあって、見ると本当に綺麗なものだが悲しい哉あのクリスマス・ツリーには根がない。あの木は育たない、あの木はきっと枯れる。
(「八方美人が多すぎる」より)

特にクリスマスツリーの例えはまさに至言で、読んでいて思わず唸ってしまいました。言いえて妙。
ここまで当時の日本をズバリと言った人はなかなかいなかったのではないでしょうか。



 

とにかく筋を通す

 

戦後の新憲法成立に関わった為、特にアメリカの占領政治についても様々なエピソードが出てきます。
「骨のあるやつはいない」なんてタイトルで占領軍のアメリカがいかにだらしなかったかを書いていたり、
アメリカのご都合で振り回されたことへの怒りを書いていたり…。
特に新憲法の成立については、

憲法にしろ色々の法規は、米国でさえ成立不可能な様なものをどしどし成立させ益々得意を増していった。一寸夢遊病者の様なもので正気かどうも見当もつかなかったし、善意か悪意かの判断なんてもっての外で、ただはじめて化学の実験をした子供が、試験管に色々の薬品を入れて面白がっていたと思えばまあ大した間違いはなかろう。
(「骨のある奴はいない」より)

今でこそ日本国憲法は素晴らしいという論調がありますが、当時はこういうものの見方をする人がいたのだと驚きました。
戦争を経験していない身としては、まさに占領政治下を暮らした人の言葉はとてもリアリティがあり、当時の様子を知ることができました。

日本人はいくらもがいても永久に米は食えないし、又米を食いたいという欲望すらもち得ない様にすることが、初めの占領政策の一貫した主旨であった様に思う。
(「憂鬱な思い出」より)

しかし、アメリカへの不満は不満としてあれ、戦後日本に食料を支給し飢えを凌がせてくれたことについては、

我々がやった戦争中の他国の占領が、今に至るまでその国の人々のウラミの的になっているのを思うと、占領なんていうことは大体うまく行くべきすべもなく、筈もないことは判りきったことだ。米国の占領政策はここがよかったとか、あすこがなっていなかったとかいうことは議論しても尽きる筈のものではないからさておき、占領が心の底から不愉快なものであったということに異論はない。どんな占領でも愉快なことである筈はない。然し、我が国の占領が米国による占領であったことは、最悪中の最善であったとはっきり言える。
(「食わしてくれて有難う」より)

良いは良い、悪いは悪いとして、素直にこのように言える姿には心惹かれますね。

 

日本に対しても厳しく

 

文藝春秋に寄稿していたということで時事問題について厳しく追求した内容になっているのですが、
その中身は現代の日本の抱える問題に通じるものが多数あります。

この大和民族はどうも政治論争がアッという間に感情問題に急進展して、ヒステリーの女そっちのけの坊主が憎けりゃケサまでにくい論法に行くことがあまりにも多い様に思う。国民こそが好い面の皮だと巷の人々があんまりなげかなくても済む様にしてもらいたい。
(「早期辞職説の根拠」より)
たとえば政府与党が過半数を制している議会においては、政府与党の提出する法案が通過成立することは当り前であるということを認めないのか。政府与党が提出する法案が反対党からみて不適当な場合は、不適当であると考える理由を国会を通じて堂々といえば事足れりである。法案通過を「実力」で阻止するとか審議を拒否するとかいうことはこれ自体が議会政治否認であると考えないのか。法案成立を阻止するために審議の引きのばし戦術を採用するとか、採決をおくらすために、牛歩戦術とかさみだれ戦術とかいう日本発明のやり方を採用するというような、「非合法」なことが堂々と国会内で横行したり、それをさも普通のことのように報道しているマスコミの良識を疑いたくなるのは、私だけか。政府与党がよからざることをたくらんでいるのならそういう政党、または間接にその政党を選出した国民の不明である。
(「マスコミの猛省をうながす」より)

特にこの二つは、今のマスコミや野党の皆さんに是非読んで頂きたいですね笑
読んでいると日本人の気質と言うのは全く変わっていなくて、問題点なんかもそのままずっと残っているのだと痛感し、
そのことを戦後間もなく指摘されているその先見の明にやはり驚かされます。
現代日本においても直っていないところを見ると、そう言った目線を持つ人がいかに少なかったかが分かりますね。

「マッカーサーを叱りつけた」「サンフランシスコ講和会議の日本語全文改め」等々本当に本人が行ったか怪しい伝説が多々ある人物なので、
先ずは本人の書いた評論を読むことがその人物像を知る一番の足がかりになるのではないかと思います。

読めば読むほど、博識で面白い大変魅力のある人物であることが分かりますよ!


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